書籍・雑誌

2006年8月19日 (土)

「竜馬がゆく」司馬遼太郎著


今さら僕がこの作品を読んでみようと思ったきっかけは、
「古今東西の名作と言われる作品は生きてる間に一度読んでおこう」
という企画が自分の中で持ち上がったからです。


歴史の教科書的に言えば、坂本竜馬の最大の功績は
薩長同盟を成し遂げたことと将軍による大政奉還案を考えたこと、
そして維新の曙を世に告げたという「五箇条の御誓文」、これの
元ネタである「船中八策」を作ったことでしょう。

犬猿の仲であった薩摩藩の西郷と長州藩の桂小五郎を
説き伏せ、二つの大藩に同盟関係を結ばせたことで、
幕府への対抗勢力が大きくなり討幕の気運が高まってきたわけです。

武力での革命を推し進める薩摩、長州グループに対し、
竜馬の土佐藩は無血革命、すなわち将軍に政権を返上させてしまう
大政奉還という案を推し進め、ついにこれを達成したわけです。
この物語のクライマックスはこの大政奉還の成就でした。

絶対無理と考えられていた政権返上、これに応じた十五代将軍慶喜も
見事な人物だなと思いました。
結果的に会津藩や桑名藩、新撰組などが抵抗したため戊辰戦争
が起こるわけですが・・。

作中で著者司馬遼太郎さんが書いていますが、幕府が倒れた後の
日本について明確なビジョンを持っていたのは幕末志士の中でも
坂本竜馬ひとりだけだったそうです。

薩摩が政権をとっていたら島津将軍を、長州は毛利将軍を作ってしまった
ことだろうと著者は書いています。つまり当時の名だたる革命家でさえ
旧態依然とした武家主義から抜けきっていなかったわけですね。

その中にあって坂本竜馬だけが異質で斬新でした。
竜馬は人民参加型の民主国家を日本に作ろうと考えていたのでした。
当時のあの時代にです。彼が幕末の奇跡と言われた所以です。
これには竜馬の師匠である勝海舟の影響が大きかったようです。

薩摩の西郷吉之助(隆盛)、大久保一蔵(利通)、長州の桂小五郎が藩において
要職を持ち、藩論をまとめ藩を動かし、藩の力を借りて革命を起こせたのに対し、
竜馬は母藩である土佐での身分はあまりにも低く、藩の中で行動することは
不可能でした。そのため竜馬は早々と藩に見切りをつけ脱藩、自ら亀山社中
(海援隊)という「会社」を作り、この組織をベースに活動していくわけです。

亀山社中は会社組織なので当然利益を追求します。この点でも「志」という精神性で
動いた他の革命家に対し、「実利」を持って世の中を動かす竜馬は非常に独創的な
発想の持ち主だったようです。

司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」は坂本竜馬というかつて日本に実在した
人物を主人公にした話です。竜馬の青春物語ですね。
作者は主人公の名を実在した「龍馬」ではなく
あくまで「竜馬」とし、区別しています。

竜馬の人柄を表すいろいろなエピソードが書かれています。
長文を書くと読まれなくなってしまうので(笑)、それらのエピソードを
詳しく紹介することはしませんが、明るくひょうひょうとした人間で、
実にかわいいキャラクターだったようです。
人に好かれ彼の周りには自然と人が集まってくる、そんな人物が竜馬です。
女性にも大変もてたみたいです。おそらく母性本能をくすぐるものを持っていた
のでしょうね。

「竜馬がゆく」は人生の指南書としても使える素晴らしい小説です。
また竜馬語録は人生の教訓としても役立つと思います。

 「生きるも死ぬも、物の一表現にすぎぬ。いちいちかかずらわっておれるものか。
 人間、事を成すか成さぬかだけを考えておればよいとおれは思うようになった」

 「人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。
 いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、
 いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、
 その目的への道中で死ぬべきだ。
 生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない」

竜馬は32歳の時に暗殺されましたが、この死さえも交通事故みたいな
ものだと司馬遼太郎さんも書いています。

竜馬の死生観は「事を成す」ということに尽きたわけです。
繰り返し読んでもあらたな発見がある、そんな物語です。


2006年4月10日 (月)

「燃えよ剣」 司馬遼太郎著


幕末動乱期、そこら辺にいる一介のお侍でさえも
日本の行く末を案じていたこの時代、
土方歳三という人は国のことなど実はどうでもよかったのだろう。

彼が考えていたことはただ一つ。
己の中に確固として存在する武士像、
侍というものを追い求めていただけなのだ。
それが具現化したものが恐怖のテロ組織、
幕末の暴力団、新撰組なのだろう。
凄惨な内部粛清や数々のテロル、殺戮行為も全て
土方の理想追求の結果だ。
土方歳三とは理想の武士の求道者だ。

浪士組~新撰組の結成、鳥羽伏見の戦いを経て函館戦争、
五稜郭での壮絶な最期まで、思想(という程のものでもないか)が
全くブレることなくひたすら戦い続けた漢の物語。

沖田が病死、近藤が斬首され、永倉、斉藤とも袂を別ち、
幕府軍の生き残りとしてついに蝦夷地にまで辿り着いた土方。
最期の戦いに臨む前、恋人お雪との不器用だが、あたたかい
一夜がとても悲しい・・。

2006年3月11日 (土)

「容疑者Xの献身」 東野圭吾著


第134回直木賞受賞作。
東野さんの受賞会見は最高に格好よかったですね。

高校の数学教師として生計を立てている天才数学者石野。
彼はアパートの隣人である靖子にひそかに想いをよせていた。
靖子はやむにやまれぬ事情で元夫の富樫を殺害してしまう。
それに気づいた石野は靖子を守るためにその天才的頭脳を使い
完全犯罪を画策する・・。

この作品では数学と完全犯罪がダブルミーニングになっていますね。
また天才数学者石野の完全犯罪(難問)を天才物理学者湯川が
解いていくという展開(しかも石野と湯川は大学時代の同窓生)に
引き込まれていきます。

純愛の結末と謎解き、そして石野と湯川という強烈なキャラクター
など読ませる要素はたくさんあります。
最後まで読んだ後もう一回読み返してみると、何一つ意味のない
会話や展開がないことに驚かされます。

ミステリなので結末は書きませんが、
タイトルにある「献身」というのがポイント。

2006年1月26日 (木)

「下流社会 新たな階層集団の出現」 三浦展著

マーケティングのプロ
である著者がデータを
分析しつつカテゴライズしていく。

このサンプル数で階層分けしていくことが
どれだけ正確なものなのか、僕にはよく分から
ないが、導きだした結果は当たっていそうな
感じがしないでもない。

コミュニケーション能力、働く意欲、学ぶ意欲、
消費意欲、総じて人生への意欲が低い人が
「下流」であるそうな。また「自分らしさ」を
志向する人も「下流」だそうな。あと歌ったり
踊ったり絵を描いたりしてる人も「下流」だと
データから読み取れるそうな。

この結果に腹を立てる人もたくさんいると思うが、
僕はまあ確かにそうかもなと思った。
こういう本を手にとって読んでしまう人は、
自分は「下流」かも、と不安に思っている人
なんだろうな。「上流」の人はこんな本を読む
暇もない位勉強したり、働いたり、頑張っているのだろう。

2005年6月28日 (火)

「空中ブランコ」 奥田英朗著

直木賞受賞作品であり、本屋でも
平積みされてるし、テレビドラマ化もされている人気作品。
僕はまたしても今ごろ読んでしまった。
主人公の神経科医伊良部はデブで子供で無神経。
たぶん実在していたら僕の一番嫌いな性格だ。

様々な神経症に悩むサーカス団員やヤクザやプロ野球選手や作家が
規格外の神経科医伊良部の元を訪れるという連作小説だ。
漫画読むみたいにスラスラ読めて面白かった。
神経症というどこか暗い病いがネタなのに明るく笑えてしまう。

症状の重い軽いは別にして僕も尖端恐怖症とか強迫神経症には
思い当たる節もあり面白く読めた。

2005年5月12日 (木)

「姑獲鳥の夏」 京極夏彦著

30442122眠っても眠ってもまだ眠いここ数日。健康の証か。
自分では仕事で毎日鬱々とし、ストレスがたまっているのだろうと
思っているのだが、これだけ良く眠れ食欲もあるんだから
どうも違うようだ。快眠快食快便の鬱病なんてあるのだろうか。

京極夏彦の京極堂シリーズ第1作目にしてこの作家のデビュー作
「姑獲鳥の夏」を読んだ。いま頃読むなって感じか。
ブームの後追っかけだが、遅れ過ぎてかえってマイペースな
感じが好感持てるね。

この作品もいまさらこんなブログでレビュー書くような代物
ではないので、そんなことは書かない。映画化もされる位の
人気作品だ。しかし堤真一が京極堂役なのはどうなのか?
雰囲気違うような気もするが。

江戸川乱歩好きな俺がなんで今までこのシリーズを読まなかったのか
まったく不思議だ。読んだらすぐはまった。
舞台は昭和20年代の帝都東京。主人公の売れない作家関口は鬱病で、
世を忍ぶ仮の姿が古本屋の主人である京極堂、その実体は陰陽師。
薔薇十字探偵社の美形探偵榎木津は幻視能力の持ち主。
その他にも個性的なキャラクターが続々登場し、奇怪な事件を
解決していくわけだ。
俺のストライクど真ん中な作品だった。
また楽しみが増えたな。


2005年3月 3日 (木)

「対岸の彼女」 角田光代著

子供の頃の俺は割と感受性豊かで空想癖のある面白いガキだった。
大人になり社会の荒波にもまれているうちに、傷つかないように
感性を鈍らせていき、いつしか考える事は損得のことばかりに
なってしまった。いつも時間に追われている感覚があり、
効率良く物事を行おうと考えるあまり、ひらめきや感性で
動く事もなくなってしまった。

直木賞作品「対岸の彼女」を読むと昔は持っていたはずだが、
いつの間にか無くしてしまった感覚を思い起こさせてくれる。
そういえば高校時代のある時期、この俺にも全身で信じられる
友達が確かにいたのだった。もうこの後の人生において、
あの頃のような友達との信頼関係を築くことはきっとない
のだろうなと思う。しかしそれが寂しいことだとは
今の俺は全く思わない。こまったことに。

大人はそれぞれが生活において様々な事情をかかえており、
子供のように友達と一心同体な関係でいることは
非常に困難なのだと俺は考えているのだが、この
角田光代という作家はそう考えていないようだった。